松山市出身。久万高原町・フリーライター 相原由佳さん(25歳)①



迷いを抱きながらも前へ進み続けるフリーライター

相原由佳

相原 由佳さん(25歳)※取材時の年齢

  • 愛媛県松山市出身
  • 松山東高校卒業後、富山大学芸術文化学部に進学
  • 大学卒業後、福島でフルーツ専門店を営む会社に就職
  • 3年間の勤務後に退職、現在は愛媛でフリーライターとして活躍中(取材時は久万高原町在住)

ヒメセカの新メンバーとして加入してくれた相原由佳さん。
自己紹介記事は後日掲載されますが、加入前にフリーライター・相原由佳を取材したときの様子をお伝えします。

角田
自己紹介をお願いします!
相原
松山市出身の相原由佳です。
松山東高校を卒業後、富山大学の芸術文化学部というところに進学しました。
その後フルーツ専門店を営む会社に就職し、東京と福島で計3年間勤務しました。
2018年3月でその会社を退職し、地元の愛媛に帰ってきてフリーライターをしています。

将来の道を描けずにいた学生時代

角田
なかなか面白い経歴ですね。
順にお聞きしたいのですが、愛媛を出て富山に行くというのが珍しいですよね。
相原
高校を卒業するときに、やりたい事やなりたい姿が特にありませんでした。
「高校生の時点で将来の夢が決まっている人ってすごいなあ」なんて思いながら周りの友達を見ていましたね。
芸術に少し興味があって、今はとにかく広く浅く芸術に触れてみたいと思って大学を探した結果、富山大学に行き着きました。
角田
僕も高校生のときはやりたい事、なりたい姿が全くなかったので、その気持ちよくわかります。ただ勉強して部活に励む毎日でした。
その芸術文化学部ではどんな勉強をしていたのですか?
相原
それが、本当に広すぎて浅すぎて…。笑
芸術って一口で言っても色々ありますけど、色々な芸術に対して一通り触れてみるというような感じでした。
広すぎて自分の中には何も残ってないと思ってしまっています。
ですが、4年生のときのゼミでは地域おこしにかかわることができ、それはとても面白かったです。

人生が二転三転することになった民藝品との出会い

角田
その4年間で興味を抱いたことなどはありますか?
相原
人の手によって作られたものに興味を抱き始めました。
そうして色々と調べているうちに、「民藝品」に出会いました。民藝品って、長い間思想・作法が受け継がれているじゃないですか?色々な人の試行錯誤のうえに、「今目の前にある形」が出来上がっていることが興味深かったのです。
どういうこだわり・想いがあって、つくられているのだろう?受け継がれてきたものってなんだろう?」というところに興味がありました。
その時から鎌倉のとある民藝店のオーナーについて、仕入れを見学したり、勉強会に参加したりしました。
実は大学卒業後にそのお店で働くことが決まっていました。

角田
そのお店で働くことが決まっていたのに、なぜ違う会社に就職することになったのですか?
相原
理由は二つあります。
一つは、”伝統”というものが自分には重たすぎました。
元々、「働く=大きな目標がないといけない」と思っていたのです。
出会った民藝店のオーナーは、民藝においてかなり重要なポジションにいる人だったので、その人を継ぐという「大きな目標」が重荷になっていました。

もう一つは、「民藝品が大好き!」というところまで気持ちを持っていけていなかったのです。民藝品に近づくと、民藝品が大好きな多くの方たちとの出会いがありました。「わたしにはこの道はおこがましいかもしれない」とか、「無理に何かに興味を持とうとして民藝品に出会っているだけなのかもしれない」と何か踏み切れない不安がありました。

その気持ちを知ってか知らずか、オーナーに「一年間社会に出てみろ」と進言されました。社会で色んなことを吸収して、それからうちで働いてくれということでした。

角田
確かに、22歳の若者には重すぎるような気がします…。
民藝品に携わっていながら、フルーツを選択したのが意外すぎます。
相原
そういうこともあって就職活動を全然していませんでした。そして、1年後に働くになっていたので、1年で辞める前提で就職活動を急遽開始。
そこでたまたま見つけたのがフルーツ専門店を営む会社なのですが、フルーツも民藝品と似たところがある気がしたのです。
フルーツも人の手によって作られたものであり、「どういうこだわり・想いがあって、つくられているのだろう?」と同様の興味を抱いたので、そこに触れられるのが楽しみになって就職を決めました。フルーツ大好きですしね。笑

突然道を閉ざされ、窮屈さを感じていた会社員時代

角田
形は違えど、想いをもって作ることは共通していますね。
1年で辞めるつもりが、結局3年間勤めることになりました。そこには何か理由があるのですか?
相原
本社は福島なのですが、最初の1年間は東京の大田市場で働いていました。セリを見学するような、仕入れの部署に配属されました。
品質の良し悪しによってつけられる値段がかなり違っていて、同じフルーツでも全く違う値段がつくんですよ。面白い経験をさせてもらいました。

そんなある日、働く予定だった民藝店のオーナーが急死しました。突然の出来事すぎて何が何だかわからず、一時はふわふわと不思議な気持ちで生活していました。彼は人として面白い人で、上記のような不安はありましたが一緒に働いてみたいと思っていたのに…。何かが欠落したような、空虚な気持ちでしばらく過ごしました。
そして、私がお店で働くという話も白紙に。
だからと言って他にやりたいこともなかったので、当時の仕事を続けざるを得ませんでした。

角田
本当の意味で道が閉ざされてしまったのですね…。
その会社での勤務を続けることによって、今の道へと進むきっかけなどがあったのでしょうか?
相原
2年目からは福島に転勤になり、福島県内の店舗で働くこと。最終的には店舗の責任者になることができました。
退職するまでの2年間は色々と考えさせられましたね…。

まず、生産時のこだわりや流通などを知りたかったのに、その職場で教えてくれる人がいませんでした。先輩にそういう話をしたことはありますが、いい答えは得られず。
また、上下関係が非常に厳しく、気軽に声をかけられる状況ではありませんでした。私が店舗責任者のときは平和な店舗を作り上げましたが、上の人に対しては話しづらい状況は変わりませんでした。
知りたいことがあるのに知ることができず、また、なんだか日々同じ仕事を繰り返しているだけな気がして…。何とも言いようのない不満をずっと抱いていた気がします。
もっと成長できる仕事がしたいと思っていたけど、辞めてやりたい仕事があるわけでもなく…。とにかく悶々としていました。

足を踏み出した先に開けた視野、訪れた転機

角田
人生の転機となった出来事は何ですか?
相原
思い切ってオンラインサロンに入ってみたことです。
トリイケンゴさんという方が主催する“ファーストペンギン大学”という名前のオンラインサロンです。
トリイさん自身がコミュニティの運営者で、そのコミュニティで色んな活動をしている人がいます。
色んな夢や目標、色んな生き方をしている人が集まっていて、かなり刺激的でした。
角田
僕も違うオンラインサロンに入っていますが、めっちゃ面白いですよね。
そこでいい出会いがあったのでしょう。
相原
フリーライターやブロガーとして生計を立てている人が何人もいました。
スキルが全くない状態から始めても、フリーライターの仕事だけで生活していけると知りました。
そういう人たちから話を聞くと、自分にもできそうな気がしたので、「私もやってみよう!」と決心。
決心してすぐに会社の上司に「半年後に退職します」と伝えました笑
半年間、そのサロンで収入を得る術を学びました。
そして3月末に退職し、地元である愛媛に帰ってきてフリーライターをしています。
相原さん2

度重なる逆境の中、一筋の光を信じてフリーライターの道を選んだ相原さん。
次回は、フリーライターという仕事について、また、今後の目標についてのインタビューを掲載します。

Twitterアカウント

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相原由佳

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