西予市出身。東京・イノシシ関連製品開発会社代表兼ヒメセカ理事、泉原朱美さん①



これまで『何か新しいもの』を探していた。しかし大事なものは『既に持っているもの』の中にあった。

泉原朱美さん

  • 愛媛県西予市(城川町)出身
  • 幼い頃、祖父がTVに出ていたのをきっかけに、マスコミ関係の仕事に就きたいと東京の早稲田大学へ。
  • 化粧品メーカーに就職するものの、大学時代に魅了された韓国語を活かしたいと韓国系TV局に転職。広報PRとして活躍した後、得意の韓国語×PR力×デザイン力を活かし、韓国から仕入れたものをネット販売する事業で起業する。
  • 新規事業の模索中に地元の猟師さんの話を聞き、幼い頃から慣れ親しんでいたイノシシを活用したいと決意。現在はイノシシを使った商品の開発や、イノシシ脂を使った自社化粧品『TAON』、イノシシ肉の販売を行っている。
  • ヒメセカの美女枠兼WEB・SNS担当✨

取材をする側でTVに出られたらいいなと思っていた

あゆみ
いずねぇは、どんな子供時代でしたか?
いずねぇ
今は合併で無くなりましたが、全校生徒70人くらいの城川町東中学校に通っていました。人数が少なかったため、女子はソフトボール部か軟式テニス部、男子は野球部へ強制参加するんです(笑)選択肢はありませんでしたね。

その時の夢はアナウンサー。地元に岩上田という観光スポットがあり、祖父がその田んぼを耕していたため、取材を受けるのをいつも見ていたんですよ。めざましTVに出る祖父を家族全員で見ながら、いつか取材をする側でTVに出られたらいいなと思っていました

あゆみ
アナウンサーになるため、当時はどんなことをされていたんですか?
いずねぇ
ネットが普及していなかったので、情報源はもっぱら雑誌や本。明屋書店で『アナウンサーになるには』(みたいなタイトルだった…)という本を買いました。
その本にアナウンサーの卒業大学が載っていたんですが、圧倒的に早稲田大学が多かったんです。

早稲田大学に入るにはどうすればいいんだろう?」そんなときに、ちょうど宇和島東高校出身で早稲田大学に入られたアナウンサーの宮川俊二さんが、フジテレビのゴールデンタイムで活躍されていました。
宇和島東に行けば早稲田大学に行けるかもしれない。そのため、宇和島東を目指して中学校2年生から勉強を頑張りましたね。

あゆみ
高校受験もアナウンサーになるためだったんですね!西予市から宇和島市の高校に進学するって、珍しいですよね?
いずねぇ
地元中学校から宇和島東に行ったのは、私1人でした。そうですよね、バス通学でも地元から2時間かかりますし(笑)しかし宇和島東を選んだのには、明確な原体験があったんです。

小学校6年生の時、田舎だったので、当たり前に地元の中学校に進むものだと思っていました。しかし、何も考えずに迎えた中学の入学式で、同じ小学校の子が1人来ていなかったんです。聞いたら「あの子は中学受験して松山に行ったよ」と。その時に「私も選べたんだ」そう思ったのをずっと覚えていたんですよね。

結局、大学進学するには通学時間が勿体なかったので、宇和島で下宿生活を送りました。

あゆみ
確かに、他に倣うっていうのは田舎あるあるですよね。では高校生の時に頑張ったことはなんですか?
いずねぇ
勉強しかないですね(笑)入学時から早稲田大学を目指していたので、下宿先の人とも交流した覚えがないくらい、1人で問題集を解きまくっていました(笑)

しかし地元では大学に進学する人が少なく、両親は渋っていたんです。それでも勉強の甲斐あってか、早い段階で早稲田の合格が出ました。第二文学部(夜間学部)でしたが、二文でもアナウンサーになっている方はいたので、迷わず進学を決めました

あゆみ
おお、中学校の頃からの夢が!おめでとうございます。確かに就活の時には、偏差値よりも大学名が重視されたので良い選択ですね(笑)夜間学部だと、どんなスケジュールなんですか?
いずねぇ
授業は18時から21時までだったので、ほとんどの人が昼間にアルバイトをしていました。私もカメラが好きで、週4で写真屋さんで働いていましたね。
あゆみ
サークルなどもされたんですか?
いずねぇ
大学では、メディア就職に強いと評判の放送研究会に入りました。もちろんアナウンサーを目指す人も多かったんですが、みんな洗練されている上に、臨機応変に対応できるというか…機転が利くんですよね。アナウンサーって、こんなにきらきらした人たちが受けるのかとプチ挫折しました(笑)

また同じ頃に、宮川俊二さんにアポを取ったら会って下さることになったんです。しかしアドバイスを頂く中で、アナウンサーになるには訛りやイントネーションを直さなきゃいけない。洗練された雰囲気を身につけるために住む場所を変えないといけない。見た目が大事だから歯並びを矯正しなければいけない…と、やることが多いなと思ったんですよね。憧れだけではなれないんだなと感じた瞬間でした。

他人がしないことをしよう

あゆみ
確かに、受験勉強のようにただ勉強だけを頑張ればいい訳じゃないですもんね💦就職活動はアナウンサーを受けたんですか?
いずねぇ
いいえ。就活開始時にはアナウンサーに挫折し、メディア業界なら他の職種でもいいなと思っていました。しかし、メディア業界は他の業界に比べて就活が早いんですよね。3年生の秋ごろから手当たり次第受けましたが、全て落ちて(笑)

それまで他業種を見ていなかったたため、受ける会社を探すのには苦労しましたね。しかし、回を重ねるごとにコツをつかみ、4年生の4月に美容商材のメーカーから内定を頂きました。

あゆみ
へええ。その時は美容業界に決まったんですね。では大学時代で頑張ったことはなんですか?
いずねぇ
大学4年生のときに韓国語を勉強したことですね。就活が終わり卒業を意識したときにふと、大学で成し遂げたものが何もないなと思ったんです。当時は冬ソナブームの前だったので、韓国語を勉強する人は稀で。「せめて最後に何か身に着けたい。だったら他人がしないことをしよう」そう思い、独学で勉強を始めました。

また、高校の時にハリウッド映画にはまり海外の人と文通をしていたんです。ポーランド、タイ、アメリカ…たくさんの国の人がいる中で、大学生になっても返信があったのは韓国の人だけだったんですよね。それで親近感を感じたのもあります。

あゆみ
どうでしたか?
いずねぇ
4年生の秋に勉強を始めて1か月後にハングル語検定4級に受かりました。韓国語は、日本人にとって覚えやすく、意外と出来たので楽しくなったのもあります。また1日中勉強していましたね(笑)
卒業式前の3月には3週間、向こうの早稲田大学と呼ばれるところに留学もしました。
あゆみ
大学受験のときもそうですが、1人でコツコツ努力する経験を、当時から積み重ねていたんですね。
いずねぇ
それは良いところでもあり、悪いところでもありますかね(笑)

結局韓国熱が高まり、新卒で入った会社も2か月の新人研修で辞めちゃいました…💦実は入社自体も前日まで迷っていたんですよ。これで現場に出ると、また辞めたくなった時に、さらに辞めづらくなると思いました。人事部の方にはめちゃくちゃ怒られましたけどね。

また普通の道から脱線することへの不安もありました。しかし「25歳まではやりたいことをやろう」と自分の中で折り合いをつけましたね。

デザインすることに面白さを感じていた

あゆみ
それからどうしたんですか?
いずねぇ
アルバイトでもいいから韓国人と働ける仕事をと、まずNHN Japan (現LINE)に4か月の短期のアルバイトをしました。

それから、韓国系旅行会社の日本事務所で1年働きましたね。ちょうど冬ソナブームだったので、ファンミーティングで韓国行きに同行したり、本社と毎日電話したり、韓国語が話せることが重宝されたんですよ。

一方で、韓国人の所長を含め4名の会社だったので風通しが良く、所長にメディアの仕事がしたいと言っていたんです。すると韓国のMnet(K-POP専門放送局)が日本進出する際に、社長が創業メンバーの仕事を紹介してくれて。「韓国だしメディアだし、所長が良いなら行きます」と、その会社に創業メンバーとして入ることになりました。

あゆみ
ええ、すごい面白い展開ですね!創業期ではどんなことをされたんですか?
いずねぇ
職種は広報でしたが、創業だったので色んなことをしないといけません。仕事しながら覚えた感じですね。

中でも忘れられないのは、初めて自分たちの放送局の電波が通った瞬間です。夜中にみんなで集まりましたよ。そこから24時間365日放送が始まるわけですから、記念すべき瞬間ですよね。

あゆみ
そんな思い入れのある職場をなぜ辞めたんですか?
いずねぇ
芸能人にも会えるし、韓国にも行けるし、普通じゃない夢のような経験が出来ました。

しかし、5年半働く中で少女時代やKARAが話題になり、日本メディアでも大きく扱われるようになったんですよね。大好きな韓国文化を流行らせたいという想いで働いていたので、やり切ったなと感じたんです。初めは6人しかいなかったメンバーも30人になり、ここが卒業する時かなと思い辞めることにしました。

あゆみ
その後がネットショッピングですか?
いずねぇ
そうですね。韓国Mnetの運営元がテレビショッピングの会社も持っており、そのネットショップ事業部に誘われました。元々大学生の頃からネットが大好きだったんですよ。寝ずに自分の犬のHPを作ったり、まだサービスが始まったばかりのネットショッピングやヤフオクを使っていたり(笑)

なので慣れ親しんだネットを通じて、ネットショップの店長として、売上を上げるために写真や構成のデザインをしました。その頃には韓国に携われてるから楽しいというよりも、デザインをすることに面白さを感じていましたね。

また、物販ってお金を稼ぐうえで一番基本的なことなんですよ。これまで旅行の手配や広報でお金を扱うことがなかったので、初めてお金の動きを見れたのは本当に収穫でした

一人で努力することを惜しまず、Mnetへ創業メンバーとしてジョインするなど果敢に挑戦し続けていたいずねぇ。
今では身近になった「韓国」も、いずねぇが架け橋になってくれたからかもしれません。

いずねぇはその後独立、起業を選択し、ヒメセカを創立。
2018年より始まった事業の話も次回インタビューでたっぷり伺います!

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