津島町出身。松山・不動産会社役員、西田信一さん(30歳)①



自分のためより人のための方がパワーが出る


西田信一さん(30歳)※取材時の年齢

  • 愛媛県宇和島市津島町出身
  • 三福綜合不動産取締役。高校を卒業後、自衛隊勤務を経て24歳で不動産業界へ。
  • 2018年には、全国の不動産業者1700社が加盟する「全国賃貸管理ビジネス協会」主催の賃貸選手権で、成約件数全国1位、及び総合優勝。
あゆみ
毎日厳しい練習に打ち込む運動部。あの大変さがあったからこそ、大人になって辛いことも乗り越えられるという人は多いです。今回は幼い頃から柔道に打ち込み、持ち前の粘り強さ・我慢強さで、現在は不動産会社で大活躍!仕事で全国1位を取った経験もある西田くんに話を聞きました。

実は同じ中学の同級生でもありますが、当時はあんまり話さなかったよね。改めて、どんな学生時代でしたか?

西田くん
ずっと柔道をしていましたね。柔道は小6で父に無理矢理始めさせられて(笑)中学はもちろん柔道部、高校は柔道推薦で松山市の新田高校に行きました。愛媛って柔道がめちゃくちゃ強いんですよ。特に新田高校の男子柔道部は、今年で四国総体20連覇。そのため、練習は地獄でした。1000回くらい辞めたいって言いましたね。なんとか続けることができたのは、仲間のおかげです。

卒業後ですが、20歳以下の香川県予選で優勝、四国大会で3位になりました。愛媛県で成績が残せなかったのは、周りが強すぎるからだと思っています(笑)

あゆみ
確かに西田君は昔から柔道のイメージが強かったよね。でも四国で3位とは!高校卒業後はどうされたんですか?
西田くん
高校卒業後は、自衛隊に入りました。柔道部の練習に比べると、訓練は楽だと思いましたね。天職やんって(笑)

元々は警察官を目指していたんです。柔道部を引退してから、公務員試験に向けて死ぬほど勉強しました。そのおかげで模試ではE判定からC判定にまでなって。しかしもう少しで受かるというときに、同級生から「自衛隊の方が入りやすく、自衛隊から警察官にもなれる」と聞いたんです。大型免許やたくさんの資格を取れるのもあって、自衛隊を目指すことにしました。

あゆみ
自衛隊入隊後はどうでしたか?
西田くん
無事に入隊し、香川県の善通寺で3か月間の前期教育を受けました。同期には、中卒ニートとか暴走族も多かったですね(笑)教育部隊では、右向け右や敬礼の仕方を学びました。
ラッパが鳴って3分後に整列する必要があるんですが、1秒遅れるごとに腕立て伏せ、3か月で1万回しましたよ(笑)柔道部に比べては辛くなかったですが、やっぱり辞める人も多かったです。外出なども許可制で、初めの門限は昼の2時。これも1秒でも遅刻したら連帯責任でした。

ただ、今でも自衛隊時代の友人とは遊びに行きますね。きついことを一緒にすると普通より仲良くなります。しんどい分本音でぶつかれるんでしょうね。


(自衛隊時代の同期たちと。前列右が西田くんです)

大砲部隊で大活躍!天職だと思った自衛隊から、東日本大震災で転職を決意

あゆみ
大変だからこそ仲良くなれたっていうのは、柔道でもきっとそうですよね。その後はどうされたんですか?
西田くん
その後は、配属先の松山に行き、3か月の後期教育を受けました。卒業後は、大砲の部隊に配属され、大砲に乗ったり整備をしたり、射撃訓練を行いました。砲弾は一発40キロありましたね。自衛隊には自分みたいな戦闘隊はもちろん、会計や広報などもあります。
あゆみ
思い出に残った任務ってあるんですか?
西田くん
退職のきっかけになった東日本大震災ですね。発生して3日後に石巻へ行き、2か月半滞在しました。
遺体捜索や物資輸送、給水支援もしましたよ。あの時は役に立てたなと思いました。
あゆみ
そうですよね、西田君は、先日の大雨被害でもいち早く救援物資を送っていたのが印象的でした。
西田くん
グループの代表が決断したんです。大雨被害の翌日に、松山で支援物資を集めて取引業者のトラックで宇和島に向かいました。
まさに自衛隊の経験が活かせましたね。発生直後は、スポーツドリンクよりもとにかく水。お皿と一緒にラップを送ると二度以上使えたり、また粉ミルクとストローを一緒に送れば哺乳瓶が無くても赤ちゃんが飲んでくれるなどです。これも全部被災地で学びました。

「一回だけ、チャンスを下さい」合格率15%の宅建のため、1日12時間の猛勉強

あゆみ
プロの立場からのアドバイスはありがたいです。でも、辞めたきっかけが東日本大震災ってなぜですか?
西田くん
自分は、働いて「ありがとう」と言われたかったんです。ただ、自衛隊に入って「ありがとう」って言われるときはみんなが不幸なときなんですよね。「幸せなときにありがとうって言われたい」そう思い転職を決意しました。
中でも働くんだったら、身近な衣食住のどれかだな。でも自分はおしゃれじゃないし、料理もしない(笑)消去法で住だなと思いました。
あゆみ
なるほど。大事な職業だけど確かにそんな考えもありますよね。転職はすんなりいきました?
西田くん
転職を決意したのが結婚する直前だったんです。そのため、奥さんの家族には公務員を辞めることを反対されました。当たり前ですよね。「一回だけ、チャンスを下さい。合格率15%の宅建を受けて、落ちたら一生自衛隊にいます」そうご両親と約束して、宅建の勉強を始めました。

災害派遣から戻った後は、1日12時間勉強をしていましたね。派遣中は休みがないので、帰任後1か月間丸々休暇だったんです。高校では昼ごはん以外はずっと寝ていたくらいだったので、ほぼ初めての勉強に40度の知恵熱が出ました(笑)体を動かす方がよっぽど楽でしたね。

あゆみ
勉強嫌いなのに1日12時間!そこまで、頑張れた理由はなんですか?
西田くん
もちろん、彼女のご両親との約束もありますが、もう1つは先輩を見返したいと思ったからですね。

自衛隊って2年ごとに退職するかが選べるんです。当時、4年で辞めためちゃくちゃ優秀な同期がいたんですが、先輩が「あいつは、勉強ができんけん辞めたんよ」と友人のことを言うのを聞きました。その時に売り言葉に買い言葉ですが「自分が自衛隊より難しい試験に受かったら、その言葉取り消して下さい」と言ってしまったんです(笑)その怒りがパワーになりましたね。自分よりも人のための方がパワーが出るタイプみたいです。

柔道部や自衛隊での厳しい訓練を乗り越え、本音でぶつかれる友達に恵まれた西田くん。しかし、天職とまで感じた自衛隊を辞めたのは東日本大震災がきっかけでした。
次回、不動産業界で成功した理由や「ちょっと賢い奴が一番大変だ」と語る理由について。気になる宅建の結果についてもたっぷり語って頂きました!

🍊西田くんのいる三福綜合不動産のHPは⇒こちら🍊

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