北海道札幌市出身。徳島インディゴソックス投手、三木田龍元さん(24歳)①



三木田 龍元さん(24歳)※取材時の年齢

  • 北海道札幌市出身
  • 北海道立小樽潮陵高校卒業
  • 北海道大学医学部保健学科作業療法学専攻卒業
  • 北海道大学硬式野球部では1年生の頃から活躍し、4年時には背番号18を着用
  • ウイン北広島でプレーした後、2016年ドラフト2位で香川オリーブガイナーズに入団
  • 2018年途中より徳島インディゴソックスに移籍。NPB(日本プロ野球)入りを目指して奮闘中

今回は、四国アイランドリーグplus 徳島インディゴソックスで活躍する三木田龍元投手が登場してくれました。
三木田さんは北海道札幌市出身で、北海道大学の硬式野球部でプレーした後、北海道のクラブチームを経て2017年より四国アイランドリーグplusの選手としてプレーしています。
愛媛とは縁のない方ですが、同じ四国で人生をかけて戦っている姿をどうしても発信したく、今回取材をお願いしました。
野球選手としてだけではなく、人生全てにおいて挑戦を続ける三木田さんのインタビューをぜひご覧ください。

角田
今回は、大学の硬式野球部の2学年下の後輩である三木田龍元投手に来てもらいました。
三木田さんは北海道大学で作業療法学を専攻し、国家資格を取得しながら独学で気象予報士の資格を取得、そして独立リーグの世界に飛び込んで日々プレーしています。
選択の連続である三木田さんの人生、「どうやって自分の道を決めていったのか」について伺っていきます。
どうぞよろしくお願いします!
三木田
よろしくお願いします!
角田
北海道から四国に来て約2年、住んでみてどう?
三木田
いいところだと思います。
皆優しいし、ご飯もおいしい。
道外で暮らすのは生まれて初めてでしたが、いい場所に出会えた気がします。
角田
愛媛から北海道に行った俺とは逆のルートだね。笑
試合で愛媛にも行ってるよね?
三木田
坊っちゃんスタジアムをはじめ、新居浜や西条、宇和島の丸山球場にもたまに行きます。
豪雨災害があったときには、チームをあげてボランティアにも行かせていただきました。
角田
ボランティアの様子、写真で見ました。なんだか嬉しかったなあ。

全国大会でベンチ入りすらできず、悔しい想いをした

角田
では、龍元のここまでのストーリーを順に聞いていこうと思います。
まず、野球を始めた時期やきっかけを教えてください。
三木田
父が野球好きで、物心ついた時には野球に触れていたと思います。
僕が野球を始めたのは小2の頃で、当時はファーストや外野を守っていました。
角田
大学の練習試合でも、お父さんは必ず見に来られてたよね。
中学校では学校の部活で軟式野球をする人と、シニアなどのクラブチームで硬式野球をする人にわかれるけど、どっちを選んだの?
三木田
後者です。
札幌北シニアという名門チームを選んだのですが、その理由は高校や大学でも野球をやりたいから。
先を見据えて、練習がキツいのを覚悟で入りました。
角田
実際、キツいと感じる瞬間はあった?
三木田
もちろんありましたけど、それを受け入れて入団しましたし、好きで野球をやっていたので苦痛などは特になかったですね。
角田
シニアはキツいって色んな友達からずっと聞いてたから、好きでやれるのはすごいと思う。
シニア時代はどんな結果だったの?
三木田
僕にとっては悔しい時期でした。
3年生のときに、北海道で優勝してジャイアンツカップという全国大会に出場したのですが、僕は実力不足でベンチにすら入れませんでした。
東京ドームのスタンドで応援することもなく、北海道でチームの結果を待つのみ。
3年間何もできずに終わり、本当に悔しくてたまらなくて。
高校や大学で活躍して、「絶対見返してやろう」という想いが芽生えました。

他チームとの出会いをもとに高校を選んだ

角田
そんな想いが芽生え、選択したのは札幌市内の高校ではなく小樽潮陵高校。
これには何か理由があるの?
三木田
元々、札幌市内で野球が強くて進学校である高校へ進むことを考えていました。
しかし、シニアとの選手との出会いをきっかけに、小樽潮陵高校へ進学しました。
角田
それ詳しく聞きたいね。
三木田
シニアリーグには月に1回野球塾というものがあり、色んなチームの選手が集まります。
札幌以外のチームも来ていて、その中に小樽のチームの選手もいたわけです。
進路に迷っているときに熱心に誘われたり、潮陵に行く選手を見ると、「結構勝てるかも」という気がしました。
進学校でもあるし野球の実績もあるので、「ここで勝負してみたい」と思い、潮陵へ行くことを決めました。
角田
いい出会いだね。これがなかったら今ここ(徳島)に龍元はいなかったかもしれない。
三木田
そう考えると人生って不思議ですね。
角田
ピッチャーを始めたのはいつ頃?
三木田
中学校2年生からですが、高校2年生までは基本は野手でたまに投げるぐらい。
本格的に始めたのは高校3年生の春でした。
角田
そうだったんだ。
高校最後の夏はピッチャーとして迎えたわけだけど、どんな結果だった?
三木田
最後の夏に初めて背番号1をもらいました。
小樽地区で優勝し、3年ぶりの全道大会に出場することができました。

※北海道は土地が広く、一斉に予選を行うのが厳しいため、夏の大会も地区予選→全道大会という順で大会が進みます。土地が広い北海道ならではですね!

AO入試では、勉強以外でも頑張ったことをアピールできる

角田
大学は北海道大学へ。
ここで龍元と出会えたわけだね。
三木田
そうですね。
角田
高校の野球部って練習が長くて、勉強時間を確保するのが大変だったと思うけど、どうやって工夫してたの?
三木田
札幌から小樽の高校に通っていて、かつ、練習時間も長かったので、まとまった勉強時間を確保することができませんでした。
なので、勉強は基本的に移動時間で済ませ、学校では授業と野球に集中していました。
角田
時間の使い方をちゃんと考えてて、偉いね。
高校生のときは、将来の夢とか勉強したいこととかあったの?
三木田
大学では医学部保健学科に入り、その中でも作業療法学を専攻していたのですが、そのきっかけは兄にあります。
兄は障害を持っていて、小さいときから見てきたから、「兄の病気を治してあげたい」とずっと思っていました。
それもあって、医療現場には元々興味があり、作業療法を学ぼうと決めたのです。
角田
その中で北大を選んだのは、大きな理由があるの?
三木田
高校野球では最後に背番号1をもらえたものの、自分のなかでは不完全燃焼。
「見返したい」という想いはまだ消えていなかったので、大学で野球を続けることは決めていました。
実家からも通えるし野球の実績もあるので、「北大で野球をやりたい」と思い、入学しました。
角田
そういう意気込みで入ってきて、実際1年生のころから活躍してたから流石だよね。
ちなみに、受験は一般入試?
三木田
いえ、AO入試でした。
一般入試と違って、AO入試には面接があります。
僕はここをチャンスだと思い、AOを選択。
今まで野球を頑張ってきたことに対して自信を持っていたし、面接の場でそれをアピールしました。
勉強だけでなく、それ以外の部分をアピールできて評価してもらえるのはAO入試の魅力だと思います。


(北海道大学の冬の景色です。四季をとおしてキャンパスが本当にきれいで、すみちゃんもここに惹かれて入学したのです!)

アツい想いで野球を続ける中で、AO入試という手段を選択して北大へ入学。
自分が頑張っていることがそのまま自分の評価につながり、勉強以外でも進路を切り拓いていけることがわかったのではないでしょうか。
インタビュー後編では、大学から社会人になる際に自らさまざまな選択肢を掴み、その中で野球を選んだ理由、そして、目の前のことに挑戦し続けられる理由について語ってもらいます。

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