松野町出身。松野町・アウトドアガイド、石川雄一さん(35歳)①



仕事と自分の生活が同化している


石川 雄一さん(35歳)※取材時の年齢

  • 松野町吉野地区出身
  • 宇和島南高校卒業後、大東文化大学経済学部に進学
  • 愛媛FCスタッフ勤務などを経て、現在は株式会社フォレストキャニオンでアウトドアツアーの開催やキャニオニングのガイド、また冬場は松野町の自然薯「マツノゴールド」の栽培にも取り組んでいる。
  • キャニオニングガイドでの愛称は“ゴエモン”

今まさにシーズンを迎えている松野町の観光スポット、滑床渓谷でキャニオニングのガイドをされている石川雄一さん。昔を思い出すと話すことがいっぱいある(笑)と話す通り、ここまでの道のりには紆余曲折がありました。就職活動で学んだ衝撃的な出来事や、その後一貫している想いとは?存分に語って頂きます。

岸本
まずは石川さんの学生時代や今の仕事に就くまでの経緯を教えてください。
石川
小中学校は松野町、高校は宇和島に行ってて、卒業して東京の大東文化大学に進学しました。
岸本
すぐ東京に出られたんですね。なんで東京に?
石川
やっぱり田舎が嫌だったっていうのはあるかな。なんか抜け出したかったみたいな。とりあえず4年間遊び倒したろうって感じでした。

それでも親からは東京に行くとお金もかかるから、県内にしなさいと言われ、「えー県内か…」と思いながらも松山大学も受けたんですよ。そしたら、テストがすごく良くできて…逆に落ち込んでいたんです(笑)。もう少し手を抜くんだったと思って。

ただ、1週間後不合格っていうのが分かりました。それで自分の希望通り(笑)関東に行くことになったんです。

岸本
なるほど。学生時代はどんな勉強をされていたんですか?
石川
僕、高校時代全く勉強していなかったんですよ(笑)家庭科の時間とかずっと寝てて。先生が僕専用の笛を持ってきて、ピーって吹かれて起こされたり…。

それくらい勉強に興味がなくて。三者面談の時には、どこの学部に行きたいか問われたんだけど、高校が普通科だったので「普通学部がいいです」って言ったんです。実際にあると思ってたので(笑)先生はもうため息ついて…じゃあ経済学部に行きなさいと。で、先生の言う通り経済学部に行きました。

大学時代は寮でバーチャルツアー

岸本
実際に都会に出てみてどうでしたか?
石川
大学時代は遊ぶことをメインに進学したので、適当に授業を受けて過ごしていました。さすがに自分専用の笛はなかったですけど(笑)

ただ1つ思い出に残っているのは、大学で寮に入ったんですけど、そこで生まれて初めて沖縄の人に出会い、北海道の人にも出会って。全国各地の風土や言葉遣いにとても興味を持って、寮でバーチャルツアーをしたみたいな気分になったんです。

今まで松野町で生まれ育ち、宇和島に出ただけでも大都会だと思っていたのに、それが東京には想像をはるかに上回る世界が広がっていて。日本って広いんだなぁ。すごい面白い所に住んでいるんだなと。それを発見できたことが4年間で1番楽しかったし、今考えるとその経験が今の自分の仕事の糧になっているとは思います。

就活で決心“興味があることを探して突き詰めよう”

石川
まあそんな感じで大学時代を過ごしてきたので、3年間で120単位取らないといけないところ、50単位程しか取れてなくて。親からも大学卒業できないのであれば、自分のお金を出しなさい言われ、これは本当に何とかしないと…と焦って4年生で残りの単位を全部取り切ったんです。
岸本
すごいですね!
石川
すごいでしょ(笑)ただそこで頑張りすぎていたので、就活を全くしていなくて。

次は就職するために、まず自分には何ができて何ができないのか、自己分析をしてみたんです。結果、できないことが大半だったけど、僕って興味をもったことにはとことんのめりこむ。興味がないことにはまったく興味がないという人間なんだと。じゃあ興味があることを探して突き詰める人間になろうと。そこで一念発起して思いついたのが、“浦和レッズのスタッフとして入れないか”と。スポーツを見ることが好きだったのと、埼玉に住んでいたからという簡単な理由なんですけど。

もちろん学校の就職センターで、「僕浦和レッズに入りたいです」と言ったら爆笑されましたけどね(笑)そこで話を聞いたら浦和レッズに入るには専門知識がいるということを知って。就職する目標があるなら、目標から逆算して考えないといけないということを22歳にして初めて身につけたんです。自分ではすごい進化やったんですよ。

自分の好きなことだからとことんのめりこめた

岸本
どうやって専門知識を身に付けようと…?
石川
大学卒業後にアルバイトをしながらお金を貯めて、スポーツマネジメントを学ぶビジネススクールに半年ほど通って、そこでスキルを身に付けました。

普通は大学で学べることだったかもしれないけど、僕の場合はここで学ぶことがとても新鮮で。スポンサーに対するプレゼンの仕方とか、資料の作り方、マーケティングの基本など自分の好きなことだったからとことんのめりこめた。自分にとっては得意な分野だったんだと思います。

岸本
自分の学びたいこと、好きなことにのめりこめるって素敵ですね。
石川
スクール後の就職先を考えた時にも、まず地元のサッカーチーム愛媛FCについて調べてみて。愛媛FCは当時全国で唯一、県内すべての自治体から出資を受けて作っているチームで、いわゆる親社会的なビッグスポンサーを持たない、Jリーグの中でも真の地域密着型のチームだったので興味を持って。

一度は断られたんですが、イレブンミリオンプロジェクトというJリーグの広報活動スタッフとして愛媛FCに就職でき、ようやく大学4年から始めた道がつながったんです。

岸本
愛媛FCでは試合のサポートなどをされていたんですか?
石川
3年ほど勤務して、県内各地をイベントで回ったり、色々なイベンター事業を学ぶことができたから、自分にとってはとても価値のある仕事でした。

でもその一方で単純に楽しめないくらいシビアな世界でもあって。毎シーズンビッグスポンサーを持つチームは大型補強をしてどんどん強くなっていくけど、スポンサーを持たないチームはそれが出来ないなど、いろんなジレンマは感じていたし。ずっと続けられるものではないのかなぁとは思っていました。

そんな時に、これまたタイミングよく、ビジネススクールでお世話になっていた先輩から面白い仕事をしてみないかと誘いがあったんです。

岸本
何のお仕事だったんですか?
石川
それが実はプロレスで(笑)
岸本
プロレス!?全然今の仕事に辿り着かないんですけど…(笑)
石川
何?プロレスって…みたいな。アントニオ猪木くらいしか知らないし、全然興味なかったんだけど、新しい会社の旗揚げに携わる仕事で、再び東京に行きました。

当時は家庭も持っていなかったし、怖いもの知らずだったから、場所も全く考えていなくて。今は思っていないけど、とりあえず東京など人の多いところのほうが成功する、儲かるだろうと思っていました。
自分で言っておきながら、なんかすごい経歴だな…昔を思い出すと話すことがいっぱいあって(笑)

体はしんどくてもストレスに感じない「これってアリだな」

岸本
でも本当にタイミングよかったですね。
石川
ただその仕事も1年ほどで会社が持たず。

じゃあ松野に帰るか…と。今まで5年ほど自分の好きなことばかりやってきたけど、正直しんどいところもあったから、田舎でいったん休もうかなと。

松野町に帰ってきてからは役場で少し働いていたんだけど、“えひめいやしの南予博”がきっかけで今の社長と出会って、キャニオニングガイドをしてみないかと…。会社設立当時はバイトで入っていたんだけど、予想人数500人くらいかなぁと言っていたら、まさかのその夏、1500人来て…。1か月で10キロやせたんですよ。

岸本
えー!!きつくなかったんですか?
石川
でもその時に感じたのが、「あ、この仕事なら続けられるかも」と。
体はしんどいけど、都会で仕事をしていた時に比べ全くストレスがたまらない。

水の流れる音や、風の音を聴くだけでストレスを感じないんですよね。人間やっぱりこういう風にできているんだなと。しかもお客様もリラックスしながら自分に話しかけてくれていたから「あー、こういう仕事もアリだなぁ」と思いました。

岸本
サッカー、そしてプロレスからのアウトドア。やっぱりスポーツが関係していますね。
石川
そうですね。まぁ人を感動させたり、人の心を動かしたりするようなことが好きなんだと思います。だからそういう面では3つの仕事は共通していますね。

大学4年生の時に“自分が興味のあることを探して突き詰める”という決心をしてから、今の仕事に就くまでの、ありのままの経験を楽しくお話してくださった石川さん。
次回は現在の仕事や今後考えているプランや、地元松野町での生活で感じていることなどについてもお聞きしていこうと思います。

🍊石川さんがガイドを務めるフォレストキャニオンは⇒こちら🍊

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