松山市出身。カンボジア・公共事業運輸省アドバイザー、久米秀俊さん(60歳)③

カンボジア在住4年の久米さんのインタビューです。
前回のインタビューはこちら

”念ずれば花開く”精神を持って

運輸省(現国土交通省)に入ったきっかけは何だったのでしょうか?

元々小さいボールは得意ではなく、ミリ単位の世界は自分には合わないと感じた私は、九州大学に入学し、センチ単位、メートル単位の土木の世界に入りました。
その後、国家試験に受かり運輸省へ入省。運輸省港湾局に配属されました。

他にも選択肢はありましたが、港は、物流、産業、賑わい、海岸や水辺環境の場として、いろいろな機能を兼ね備えた一つのエリアとなっています。
様々なことが出来、海外に行く機会もあると考え、運輸省の港づくりを希望しました。

また学生時代、運動だけでなく読書も好きだった私は、明治時代に生きた内村鑑三の『後世への最大遺物』という本に出会いました。将来に向かって何を残すかという本です。
その中で、お金、財産、家やなど残るものは様々にあると語る中で、海面よりも低いところにまちがあるオランダの堤防づくりが特に重要だと述べていました。

そして、何よりも大事なのは、誇れる“生き方”を残すことが、という話に感銘を受けましたね。
その本を読み、当時、高度経済成長期であった日本で、まだまだ、オランダの堤防づくりに匹敵する重要なことがあると思い、土木を選びました。
このように、古風なところがあるので、高校時代、大学時代の私のあだ名は「明治時代の好青年」でした(笑)

明治を代表する正岡子規は、36歳で亡くなるまで俳句や短歌を革新した人であると同時に、夏目漱石などの著名人とも交流があります。
日清戦争の時には実際に従軍記者として参加し、戦地の現場を伝えることに取り組んでいました。
正岡子規への憧れが読書好きにさせている部分もあります。

愛媛を代表する正岡子規を始め、秋山真之、秋山好古を描いた「坂の上の雲」は、私の愛読書です。

生まれ故郷「松山」について教えてください。

松山に生まれたことを誇りに感じています。
松山は明治時代から国際都市でした。松山には、日清・日露戦争時の海外からの捕虜をもてなしたという歴史があります。

日清戦争、日露戦争の時に海外からの捕虜を日本国内のどこで受け入れるかとなったとき、瀬戸内海沿岸の地域が複数選ばれました。
海に囲まれ、逃げようと思っても関門海峡があって困難だからです。

松山も、捕虜を受け入れる場所の一つとして選ばれました。
捕虜と言っても将校や位の高い人ばかりです。
日本は礼を重んじるところがあり、当時の松山の人たちは捕虜を手厚くもてなしました。

そのため、松山にある捕虜収容所は至れり尽くせりだったと聞いています。
かつて松山にあった陸上競技場の外周部分があ競輪場で、競輪場が、陸上競技場を兼ねていました。

その理由は、自転車が人気なヨーロッパのロシアから来た捕虜の人をもてなすために競輪場が作られたからです。
また捕虜が帰る際も、日本各地から良い品物を買い集めてお土産として渡したそうです。

他にも郊外電車の高浜線は、元々捕虜の人を運ぶために高浜港から松山市内を結ぶ鉄道として建設されました。
船でたどり着いた捕虜たちが鉄道に乗って松山市内の捕虜収容所まで移動したのです。収容所まで歩くのは、大変だろうというおもてなしの心のあらわれです。
いかに捕虜の人たちをもてなすか考えて、お土産を作り、競輪場を作り、鉄道も作った。そのため海外の人たちが松山に集まり、商売人も増え、国際都市として賑わっていったのです。

当時、松山の収容所に入ったらもてなされるとロシア国内にも伝わっていたそうで、捕虜として送られるとなると、皆「松山!」と叫んだそうです。
あの当時、ロシアで松山は有名だったのです。

ふと思ったのは、愛媛県民は海外を目指す人が多いですね。
これは愛媛県人のDNAによるもの、県民性だと思っています。

カンボジアに来る愛媛県民にかけたい言葉とは何でしょうか?

カンボジアは日本と通じる部分があると感じています。

カンボジアは仏教国です。四国88か所詣りは、真言宗のお寺をまわり、般若心経を唱えますが、ここカンボジアでも、般若心経にようなサンスクリット語のお経が唱えられます。同じ仏教ですから、日本と同じように、人が亡くなった際の初七日、49日、1周忌、3回忌、7回忌があります。
全く日本と同じです。

また、仏教を重んじるため穏やかで、貧しい人がいれば供え物を恵む国民性です。
激しい内戦があったものの、現在のカンボジアで激しいいがみ合いがないのは、仏教徒として皆助け合ってきたからだと感じています。

“念ずれば花開く”。
例えば、カンボジアで仕事をしたいというときも、何かしら困難があるでしょう。
それでも念じて取り組めば、必ず応えてくれる。
それがカンボジアだと思っています。

私は、来年の3月には任期を迎え日本に帰国しますが、その後の人生は白紙状態です。

しかし、カ ンボジアで得た繋がりを活かし、カンボジアの国造りに少しでも関われたらと思っています。
退職後、国内、海外いずれの仕事を選択することも可能ですが、私としては海外との関わりを持ち続けていきたいと思っています。

(特に東高校の)在校生に向けてのメッセージ

東高の大先輩である正岡子規、秋山真之、秋山好古らが明治時代に何をめざしたのか、「坂の上の雲」を読んでんでみてください。
正岡子規は、虚飾のない真率な感情を短歌や俳句に表現することで、世の中に大変な影響を与えました。
そうした理想、大志を持った先輩たちのことを学んでほしいと思っています。

また正岡子規、夏目漱石、秋山兄弟らは、それぞれ活動の分野が異なりましたが、頻繁に集まっていました。
ぜひ、“付き合い”を大切にしてください。
仲間と集まり、切磋琢磨することで、新しい知恵も出てくるでしょう。
今、君の隣にいる子を大切にしてほしいですね。

皆さん、頑張っていきまっしょい!

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