新居浜出身。アイルランド・フリーデザイナー、作岡江里子さん(28歳)①



「負けん気」が原動力。大学でも仕事でも逆境をばねにしてきた。

作岡江里子

作岡 江里子さん(28歳)※取材時の年齢

  • 愛媛県新居浜出身
  • 幼少期からの夢である「デザイン」に携わるため、美大に進学。
  • 大阪でのデザイナー勤務を経て、現在はフィリピン、デンマーク、アイルランドを渡りフリーデザイナーとして活躍中
あゆみ
パソコン1つで、どこででも仕事をしたい。そんな、愛媛の若者にぜひ見て頂きたいなと思います。
作岡さんは、今はアイルランドでフリーデザイナーをしているんだよね。珍しい経歴だと思うんですが、小さい頃からデザインが好きだったんですか?
作岡
そうですね、小さい頃からファッションやインテリアなど「自分でものを作ること」が好きでした。
母親が編み物やミシンでカバンや洋服を作っていたり、父親がラジコン飛行機や日曜大工仕事をしていたので、その影響かと思います。

実家が、瓦屋根に砂壁で畳のThe純和風だったんですよ。今思ったら素敵なことなんですが、当時は雑誌で見るような洋風のお家とかに憧れてて(笑)。こういうお家に住みたいって思ったのがインテリアデザインに興味を持ったきっかけですね。

両親や先生のおかげで、夢を持っていいんだなって思った

あゆみ
へえー!具体的にデザイナーを目指そうと思ったのは、いつ頃から?
作岡
明確に感じたのは中学1年生のとき、職業体験学習のときです。
体験場所を決めるため、「将来の夢」というアンケートを書いたのですが、一覧にあったのは『公務員、先生、警察』とか…。当時、私が興味があったのはインテリアコーディネーター。なので、その他のところにチェックをしてインテリアコーディネーターと書いたんです。

それから数日後に職員室に呼ばれて。優等生だったので、そんなこと初めてでびっくりしました(笑)。
その時、学年主任の先生が「職業体験のことだけど。新居浜市内中でインテリアコーディネーターを探したけどいなかったんだ。ごめんね。建築士なら沢山いるんだけど…それは、やっぱり違うかな?」って親身になって聞いてくれたんです。

今でこそ珍しい仕事ではないと思うんですが、当時は、田舎にあるような仕事じゃなかった。でも「諦めろ」とか「難しい」とか一切言わずに、その先生がちゃんと話を聞いてくれて。「夢を持っていいんだな」ってその時に思いました。

あゆみ
えー、めちゃくちゃ良いエピソード!当時、「無理だよ」って言われてたらきっと違ったんだろうね。高校もインテリアコーディネーターを意識して選んだんですか?
作岡
うーん、中学校の時に読んでたインテリア雑誌の裏に、専門学校の広告が載ってたので、こういう学校に行けば勉強できるとは思っていました。なので大学受験は考えず、普通の高校でのんびり過ごそうと思っていましたね。
それなのに、選抜クラスに入っちゃったんですよ(笑)。そこは、テスト勉強をして大学進学を目指すクラス。なので、自ずと進学を考えるようになりました。
あゆみ
その後、東京の美大に行ったんだよね?
作岡
高校では、数学や物理が苦手で…(笑)工学部の建築学科に行けるのか心配で、志望校に悩んでいました。

そんな時父親が「全国大学偏差値ランキング」という1000ページ以上ある分厚い本を買ってきてくれたんです。「江里子にどの大学に行けとか、何学部に入れとかは言わない。愛媛や四国から出るなとも言わない。その本で自分で調べて考えて、納得した学校を選んで後悔の無いよう受験しなさい。」って言ってくれて。

両親はいつでも私に自由な選択をさせてくれたので、本当に感謝しています。その本のおかげで美大の建築学科っていう選択肢を知り、これなら頑張れるかもと思いました。

ただ、美大にはデッサンとか、色彩、彫刻、模型の実技科目があって。今考えたら全然簡単じゃない (笑)。東京だと美術の専門予備校があるくらいなんですよ。各美大別に戦略があって、高校1年生からデッサンの勉強をする。受験の時は知らなかったから、都会の子は環境に恵まれてるなって思いましたね。

受かったときは号泣しちゃった

あゆみ
元々、東京に行きたかったんですか?
作岡
いえ、「私は愛媛が嫌で都会に住みたい!」ってわけじゃなかったんです。でも当時は、なんとなく神戸や京都に憧れがあって、関西に行こうかなと思っていました。

ところが塾の先生に、「日本の流行の発信地って東京だよ。デザインを学ぶなら東京じゃないの?」って言われたんです。母との三者面談のときだったので、その言葉に母の方が影響を受けて、「ほんとに東京の美大受けんでいいん?後悔せん?」って言ってくれました。そのときに、東京の美大も受けようって思いましたね。

あゆみ
また、素敵な大人の存在が!そもそも美大ってセンター試験とかも受けるの?
作岡
はい、センター試験は受けますね。一般大学と同じで、私は英語・国語・数学・物理・化学・地理を受けたと思います。ただ2次試験は実技で、2日間泊まりでやるんですよ。私は、建築インテリア学科志望だったので模型製作がメインでした。

元々東京に行きたいっていう強い気持ちは無くて、流れに身を任せたつもりだったけど、受かったときは号泣しちゃいましたね(笑)

あゆみ
わー、そうだよね!小さい頃からの夢だもん。そもそも美大ってどんな雰囲気なの?
作岡
美大は本当に個性が強い人たちの集まりでした!ファッションやアート、デザインの関心が高く、おしゃれな人ばかりでとても楽しかったです。地方から来てる子は少なくて…。半分くらいは関東圏から通っていたし、浪人生も多かったのでみんな大人びて見えました。私は デザイナーになるために勉強を頑張るぞ!って意気込んでいたので、のんびり自由に過ごす人が多かったり、気分で作品を作ってる生徒もいてびっくりしました。

実は、美大の学費は一般大学の約2倍と驚愕の高さで、お金と時間に余裕がある人が多いんです。今はデザイナー職って溢れていますが、当時は卒業後の就職先ってそんなに多くなくて。なので、デザイナーになりたいから美大に入ったというよりも、自分の技術やセンスを磨きたいとか、制作活動がしたい、あとは美大生の肩書きが欲しくて。と言う人も少なくなかったですね。

子どもをにこにこさせる仕事がしたい

あゆみ
そんな中で作岡さんはどんな学生だったの?
作岡
もちろん東京だと家賃も高いし、うちは裕福な家庭じゃなかったので。両親に負担かけてるって分かってて…。払ってもらってるお金の元をとらなきゃと思って、毎日フルで授業を入れていました。

それに比べて美大の友達は、親が社長で一生お金には困らないとか、実家がデザイン事務所でコネがいっぱいあるとか、あとは帰国子女。そういう人たちばかりで… 私とは全然違う世界から来ているんですよね。だからコンプレックスというか、そういう人たちがだらだら大学生活を過ごしているのを見ると、負けん気が発生して(笑)。

周りが取らないような厳しい授業を積極的に取ったり。みんなができないことでも私はやってやるって、逆にやる気を出してました。デザインの勉強に追加して、教員免許コースと学芸員資格のコースも受講しました。あとは、学外でのデザインプロジェクトにも積極的に参加するようにしていましたね。今思えば、優等生ではあったけど、勉強以外の大学生活を楽しんではなかったのかな…?と思ったりもします(笑)。でも、両親には本当に感謝していますね。

あゆみ
作岡さんってすごい柔らかい雰囲気だから、そのギャップが意外で素敵だね!学生時代はアルバイトとかしてたの?
作岡
週末はアルバイトで、百貨店内のサンリオのお店で販売員をやっていました。お客様は小さな子どもが多かったですね。そんなお客様たちが、お小遣いを片手に悩んで買っているのを見て…自分もそうだったなって思いました。私自身、昔からキャラクターや文房具が好きで。限られたお小遣いで、シールにしようかなメモにしようかなって悩んでた(笑)。

そんな時に、「私も子どもをにこにこさせる仕事をしたい。」って思いました。

そこから、子どもに関するデザインをしたいなと思って、子ども部屋や家具のデザインとか、幼稚園の設計とか、学校の作品のテーマも全部子どもに変えました。ゼミはおもちゃのデザインをする「キッズデザインゼミ」があったので即決。元々子どもと遊ぶのも好きだし、教職も子どもが好きで取ったなって。そこから、就職活動でも子どもに関する企業を志望しましたね。

作岡江里子
(写真↑作岡さんがゼロからデザインして、手作りした小さな女の子向けの木製家具。東京都内にあるギャラリーに展示され、たくさんの子供や親子が遊んでくれて嬉しかったとのこと。)

あゆみ
作岡さんって1つの経験に対して、その時々ですごく真摯に考えて答えを出してる印象だね。就職先も、子供に関わる仕事だった?
作岡
はい、大阪の雑貨メーカーにデザイナーとして入りました。ぬいぐるみがメインで、シールやメモ帳、カバンなど、10代に向けた幅広い商品を作っている会社でした。規模としては、会社全体では50人くらいですね。

デザイナーを増やす名目で採用されたんですが、入ったらベテランの先輩2人が辞めてしまっていて…。結局入社時には、新入社員の私と同期、社会人2年目の先輩の3人だけ。入って速攻、即戦力にならないといけなかったですね。

あゆみ
出た、でも作岡さんは 逆境をばねにするからね。どんな仕事をしてたの?
作岡
商品のデザインをするのはもちろん、提携先の中国企業とのやりとりも業務の一部でした。中国に工場があったんですね。中国人が日本語を話せるんですが、Skypeで「この商品にはこの生地のこの色を使ってください」とか、デザインと商品に間違いがないように確認・指示をしていました。デザインだけではなく幅広い業務をさせてもらえる会社で、やりがいはすごくありましたね。

また途中から、社長秘書もしました。毎月2回、社長に同行して香港や上海に出張して。社長の一歩先を見て行動するのが大変でしたが、会社全体を見ることが出来たので学んだことは多かったです。

作岡江里子
(写真↑中国出張時に、一緒に仕事をしていた台湾人・中国人・香港人。日本人は中央右の作岡さんだけ!日本語が上手で、心から信頼と尊敬できる仲間とのこと。)

幼少期からの夢を叶えた作岡さん。そこには、田舎育ちで培ったという「負けん気」と、夢を後押ししてくれたご両親と先生という素敵な大人の存在がありました。
次回、フリーランスになったきっかけや、気になる英語は?アイルランドの魅力についても、たっぷり語って頂きました。

🍊作岡さんのアイルランドの魅力たっぷりのインスタグラムはこちらから🍊

作岡
https://www.instagram.com/elico39/
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作岡江里子

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