大洲市出身。東京/福島・一級建築士、渡邉実さん(40歳)①



ないものは、自分で作る


渡邉実さん(40歳)※取材時の年齢

  • 愛媛県大洲市出身
  • 大学院で建築デザインを学び、一級建築士に。国内では著名建築家に師事し、オランダの有名設計事務所でも働く。
  • 現在は、子育てのため、会津若松との2拠点生活を行いながら、住宅設計をメインに行う。特に「地球に優しく、住みたい場所に住める暮らし」を提唱したチームを組織する。
あゆみ
衣食住にまつわる仕事は身近な分、興味のある人も多いのではないでしょうか?
今回は「建築関係の仕事につきたい」「2拠点生活に興味がある」そんな方にぜひ見て頂きたいです。
大洲の出身なんですよね。どんな学生時代でしたか?
実さん
うーん、特に目立つことはない子供だったと思います。通っていた平野中学は1クラスしかなく、大洲高校進学と同時に周りに急に人が増えたんですよ。それもあって、緊張していたんですかね(笑)
部活は、中学校ではテニス部、高校ではバスケットボール部でした。ただ、中学2年の時にスラムダンクが流行ったので、部活じゃないけど、愛好会を友達と立ち上げましたね。バスケは今でも会社で続けています。
あゆみ
中学校で同好会を立ち上げるって凄いですね!昔から、0→1を作ることが多かったんですか?
実さん
無かったら自分で作ろうというのは、昔からかもしれませんね。そういえば、会社でも部活動を立ち上げました(笑)また小学校の頃にファミコンが流行ったんですが、ノートに自作のゲームを作って、それを友達がプレイしていたんですよ。
モノ作りという意味では、昔から絵を描くのが好きでしたね。幼稚園のときに賞を取ったこともありました。絵を描くと周りが喜んでくれるのが嬉しかったんだと思います。
あゆみ
昔からモノ作りに興味があったんですね。建築に進んだのも、絵が好きだった影響ですか?
実さん
それもありますが、父と兄の影響が大きいですね。父が独自で建築を学び、兄も建築学科に進んでいるんですよ。地元に世界の建築100選に選ばれた『臥龍山荘』や重要文化財の『日土小学校』があるので、なんとなく建築って身近で、面白いなと思っていました。
また当時、画家やイラストレーターになるには、どうすればいいか分からなかったのもあります(笑)

(実さんが手掛けた住宅の1つ)

友達と遊ぶ日々、2年でプロに師事したのが転機

あゆみ
広島の大学で建築を学ばれたんですよね。なぜそこを選ばれたんですか?
実さん
高校時代は、勉強が好きじゃなかったんですよ(笑)なので、建築が学べて入学できるところに絞って、広島工業大学の環境学部、環境デザイン学科に進みました。
当時の専攻は、大きく分けると『構造』『設備』『材料』『意匠=デザイン』あとは広い意味だと『歴史』ですね。ただ進路を決める際、構造とか設備とかぴんとこなくて(笑)「かっこいいものを作りたいよね」その想いで、意匠を選びました。大学の授業では、図面やパースの書き方を学びましたね。
あゆみ
どんな大学時代でしたか?
実さん
入ったばかりの頃は、周りが優秀な学生ばかりで驚きましたね。自分は、なんとなく進学したので周りに比べて建築の知識がなかったんです。友達とバスケして、アルバイトをする日々。家の鍵を友達に渡して、みんなで麻雀やゲームをしていました。暇だと思われて、大学祭の実行委員も務めましたね(笑)
転機になったのは、2年次、建築家として第一線で活躍されている村上徹先生のゼミに入ったことです。そこで、優秀な同級生と建築の話をしたり、先生の設計事務所に通い詰めるのが楽しかったですね。建築を見るため、先生たちとイタリア旅行にも行きましたよ。

(実さんが手掛けた住宅の1つ)

27歳までは自由にやろう。就職しないという選択

あゆみ
同じ想いを持つ人達が集まれば、自然と熱くなりますよね。特に何が楽しかったですか?
実さん
実際の現場を見られたのが楽しかったですね。担当したのは、設計事務所が受注した建物や、コンペ、展示会用の模型作りです。集中してものを作るのが好きだったんですよ。建築って、何もないところから作るんですが、例えば壊れてもダメだし、寒くてもダメ。自由なんだけど、決められたルールの中で動くというのが好きでした。
あゆみ
2年次から働くを意識できるのは良いですね。建築を学ぶ方の就職先って、どんなところに行くんですか?
実さん
意匠系デザイン系であれば、設計事務所、ゼネコン、ハウスメーカー、あとは大学院への進学ですかね。ただ、設計の仕事は経験がないと出来ないんですよ。初めの3~5年は、どこも営業に配属されることが多いようです。
あゆみ
なるほどですねー!渡邉さんは、その後どうされたんですか?
実さん
さらに広い視野を持ちたいと思い、東京理科大学の大学院に行きました。当時、小嶋一浩さんという著名な方がゼミを持っていたんです。小嶋さんは、学生時代から設計集団を立ち上げるような方で、実務をやらせることで有名でした。自分自身、設計事務所で学んだことが多かったので、実務に携わらなきゃ意味がないと思っていたんです。
そこには、ぶっとんでる人が多かったですよ(笑)小嶋さん自身に勢いがあるため、若くして独立したいという学生が集まっていたんです。例えば、模型作り一つとっても、村上ゼミでは切断面の角度すら測っていたのに対して、小嶋ゼミでは空中で発泡スチロールを切ったりする。それが衝撃でした。
結局、大学院卒業後1年間は、小嶋ゼミがコンペで勝ちとった集合住宅のプロジェクトに携わりましたね。

(実さんが手掛けた住宅の1つ)

世界一の設計事務所を見てみたい、とオランダへ

あゆみ
へ~!これまた就職という選択をしなかったのはなぜですか?
実さん
小説『深夜特急』を書いた小説家沢木耕太郎さんに影響されたからです。沢木さんは26歳まで自由にされ、30歳で花開いたんですよね。自分も、30歳で一人前になるためには、3年間は日本の設計事務所で経験を積む必要があるな。そうすると、逆に27歳までは自由にできると思いました(笑)
ゼミのプロジェクトに関わった理由は、先に就職した友人たちから「初めの3~5年は設計の仕事は出来ない」という話を聞き、「目の前に設計の仕事があるなら、それを頑張ろう」と思いました。といっても、お金が充分に出るわけではなかったので、アルバイトもしてたんですけどね。
あゆみ
プロジェクトを終えて25・26歳ですね。その後は、どうされたんですか?
実さん
広い視野を持ちたいと感じ、今度は「世界一の設計事務所を見てみたいな」と思いました(笑)
その時は「建築といえばヨーロッパ」という時代でした。そのためヨーロッパにある設計事務所に、自分の経歴書を送っていたんです。当時26歳。建築士の勉強をしていたんですが、ちょうど一番入りたかったオランダの設計事務所OMA(Office for Metropolitan Architecture)から「すぐに来い」と声をかけて貰いました。試験終了の翌日に家を引き払って、オランダに飛びましたね(笑)
あゆみ
すごい!確かに、広島から東京、これまた世界を見ると、視野は広がりそうですね。
実さん
OMAでは、ロンドンの都市計画に携わりました。僕のチームは13人でしたが、世界中から人を集めていたので、13人全員違う国籍でしたね。会話は英語で、僕も少しは話せました。ただ、建築って図面や模型で会話ができるんです。それはいいところですよね。
「海外で働きたい」というよりは「世界を見てみたい」、そう思っていたので、OMAに半年間勤めた後、3か月間かけてヨーロッパの20都市を周りました。
あゆみ
図面で会話できるって素敵ですね。海外と日本の設計事務所の違いってなんですか?
実さん
海外は完全分業制が多いですね。デザインだけ手掛ける事務所があれば、構造だけの事務所もある。
逆に日本の建築家は、デザインや設計から、きちんと建つか、建った後雨漏りしないかのアフターフォローまで、一貫して携わります。そのため、デザインとしては保守的になりがちですが、その分優秀な人が多い印象ですね。
あゆみ
面白い!オランダのロッテルダム自体はいかがでしたか?
実さん
オランダは、自己責任の国でしたね。例えば、自転車で川に落ちても「落ちる奴が悪い、ガードレール作りに税金は使わん」みたいな(笑)
国会議員の給料が安いので、みんな本業があるんです。そのため、普通の生活者が積み上げたルールが多く、自由で住みやすかったですね。

(ヨーロッパ20都市を周ったときの手作りの旅行記)

幼い頃からモノづくりが大好きで、建築家を目指した実さん。「27歳までは自由でいよう」周囲が就職活動に勤しむなか、愛媛、広島、東京、オランダと、世界中の著名な建築家に師事しながら、視野を広げることを大切にしてきました。
次回、30歳までのキャリアの作り方や最近話題の家づくり『チーム OFF GRID』とは?子育てのためという福島との2拠点生活についても、たっぷり語って頂きました!

🍊実さんによる、地球に優しく、住みたい場所に住める暮らし『チーム OFF GRID』は⇒こちら🍊

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です