大洲市出身。東京/福島・一級建築士、渡邉実さん(40歳)②



「辞めなきゃ、建築家になれるよ」やり続けてる人は、好きだからこそ


幼い頃からモノづくりが大好きで、建築家を目指した実さん。「27歳までは自由でいよう」周囲が就職活動に勤しむなか、愛媛、広島、東京、オランダと、世界中の著名な建築家に師事しながら、視野を広げることを大切にしてきました。
今回は、30歳までのキャリアの作り方や最近話題の家づくり『チーム OFF GRID』とは?子育てのためという福島との2拠点生活についても、たっぷり語って頂きました!

あゆみ
いよいよ27歳。日本の設計事務所で働くのは叶ったんですか?
実さん
そうですね。結局、27歳で帰りました。帰国後は、後輩の家に転がり込んで自分の旅行記を作っていたんですよ。ただ、3週間かけて上巻を作り上げたときに後輩から「そろそろ働いていいですか」と言われ…(笑)
結局下巻が完成しないまま、大学院時代にお会いした建築家山本理顕(りけん)先生の事務所で働き始めました。就職をしたのも、オフィスに行ったら「明日から来い」と言って下さったのがきっかけだったんです。そのため、当初はホテル暮らしをしていましたね。
業務内容は、自分の携わったプロジェクトがコンペで勝つことが多く、コンペに関わることが多かったです。コンペでは、日本各地やシンガポール、中国などにも行きました。音楽ホールや市庁舎など、大きい建造物を手掛けることが多かったですね。
あゆみ
普通の就職活動じゃないですね(笑)これまで建築に携わられて、その楽しみってなんでしたか?
実さん
建築業界って辞める人が多いんです。なにせ休みが少ないし、昼夜関係ないから体力的にも大変。その中でも、業界に残っている人ってモノづくりが本当に好きな人達なんですよね。そういう人たちと一緒に、良いものを作るために朝まで必死になるというのが、お祭りみたいで楽しかったです。
大学の時、村上先生の言葉で心に残っているのが「辞めなきゃ、建築家になれるよ」という言葉でした。やり続けてる人は、好きだからこそ。逆に言えば、少しでも苦に思ったら続けられない仕事だと思います。
(実さんの手掛けた住宅の1つ)

30歳で始めての就職活動。決め手も「自由さ」

あゆみ
なるほど…好きという気持ちが一番大切なんですね。いざ、30歳を迎えてどの道を選ばれたんですか?
実さん
30歳で初めて就職活動をしました(笑)それで「好きにやっていいよ」って言われたのが今の会社なんですよね。当時は、住宅の仕事ができ、特に営業からアフターまで全てに携われるものを探していました。
現職では、管理建築士として注文住宅の接客から設計、確認申請、現場の打合せ、引き渡し、それから地域のイベント作りまで行っています。ちょうど、今年で10年になりますね。
あゆみ
突っ込みどころが満載です!(笑)まずは、なぜ住宅建築の方向に行かれたんですか?
実さん
友達から「僕が家建てるときは頼むよ」って言われることが多く、それに応えたいと思ったのがきっかけですね。
住宅って、一生に一度大きい買い物なので、業者を選ぶときに信頼できる人の紹介って大事です。たからこそ、縁の薄い場所で仕事をとるのって難しいんですよね。自分自身、愛媛出身で、広島、オランダ、横浜と移っていたため、独立するのではなく今の会社を選びました。
あゆみ
なるほど、それが住宅建築の特徴なんですね。では住宅を作る人たちが、なぜ街づくりまで行うんですか?
実さん
僕たちが提供しているのって、住宅というより『暮らし』のため、町が良くなることってすごい大事なんですよね。
近くに住む子供たちに喜んで欲しいという思いで始めましたが、東京の学芸大学という場所で、最初にお祭りを企画してから5年になります。当初は、社内で射的を行っていたイベントが、商店街や他の企業様を巻き込むことで、今では納涼祭として1000人が来るイベントになりました。商店街の人と一緒にハロウィンもやっているんですよ。

(地元商店街と共に作り上げたイベント)

全ての人に、住みたいところで住める自由を

あゆみ
一貫して、「無いものは作る」という姿勢は変わってないですよね。最近立ち上げたものもあるんですか?
実さん
「地球に優しく、住みたい場所に住める暮らし」をと、5~6年前からチームOFF GRIDを組織しています。グリッドとは、電気ガス水道などの住宅に必要なインフラのことで、オフグリッドとはそのインフラから自由になること、インフラの自給自足を意味します。
今は、モノより経験や体験にお金を使う時代で、例えば子育てを田舎でしたり、地方での生活に憧れを持つ人も多くなりました。しかし、田舎で暮らしたいけど、インフラが整ってないから諦める人がいると聞き「それって、自由じゃないな、もったいないな」と思ったんですよね。
元々自分の生まれが八幡浜、育ちが大洲で自然が豊かなところで、「そんな素敵なところに住みたいという思いを叶えたい」と感じたのもあります。
共感してもらえる人が増え、今では300社、560人くらいの規模になりました。
あゆみ
すごい規模!始められたきっかけってあるんですか?
実さん
3.11の原発事故が大きかったですね。妻が福島出身のため、7年経った今でもふるさとに帰れない人が何万人もいるのを目の当たりにしました。
もちろん安く電力が作れることは良いことですし、反原発を言うつもりはありません。しかしそれがきっかけで、「リスクのある原発に頼っている建築は変だな。建築を通して自分に出来ることってなんだろう?お客様にとって、本当に良いものはなんだろう」と考えたのも事実です。
その時に、住む場所の自由やエネルギーをマネジメントする自由を提案したいと思いましたね。日本はそれが出来る技術もありますしね。
あゆみ
なるほど!それは今求められている暮らしに合っている気がしますね。実際にオフグリッドを取り入れた建築ってあるんですか?
実さん
依頼も含めたくさんありますね。また3年半前、神奈川県の三浦半島に、太陽光発電をすることで電気の自給自足を行う『完全自立循環型住宅=オフグリッドハウス』を自社で建設しました。
実は昔からオフグリッドってあるんですよ。ただ、そんな方々って例えば薪でごはんを炊いたり、原始的な生活をされる方がほとんどなんですよね。しかし僕たちのオフグリッドは、便利で暮らしやすいというのを守りながら、エネルギーの自給自足を目指しているんです。今を生きる人たちのニーズに上手くマッチしたのか、面白いと評価されメディアでも取り上げられています。
(チームOFF GRIDで出たイベント)

わがままに「自分はこれが好きだ」という思いを大切にする

あゆみ
聞けば聞くほど興味深いプロジェクトですね。今後のチームオフグリッドの方向性を教えてください。
実さん
『地球に優しく、住みたい場所に住める=オフグリッド』という想いを教育として広めたいですね。この歳になると、残りの人生で子供や孫に何を残そうかなって考えるんですよ(笑)
今の段階では、電気を買った方が安く上がるのが現実です。しかし、オフグリッドを広めれば広めるほど、たくさんの人が使うことになり、価格も安くなるんですよね。オフグリッドという概念に小さい頃から触れることで、それも選択肢の1つにして欲しいなと思います。
また個人的には、オフグリッドビレッジの村長になりたいです(笑)エネルギーの自給自足をしながら、オーガニックの食べ物を育てて、満天の星空や豊かな自然に囲まれる。10年後か20年後かは分かりませんが、思いに共感してくれる人たちとそんな暮らしをするのが夢ですね。
あゆみ
また渡邉さんは、今は会津若松との2拠点生活をされているんですよね。それも「場所に自由であれ」という思いの一環ですか?
実さん
去年の10月から、子育てで週の半分は会津若松にいますね。日月火水が福島、木金土は東京です。
元々家族で横浜に住んでいたんですが、奥さんと子供が3年前に福島へ移ったんですよ。しばらく離れて暮らしていたんですが、会社から「なべちゃんなら、どこで仕事してもいいよ」と言われ、今年40歳になったのを機に今のスタイルになりました。
会津では、街づくりの一環で『子連れおでかけマップ』に携わりました。優秀な主婦の方を中心に、子連れで食事や遊びに行けるような場所をマッピングしたものです。自分は、この挿絵を描いたんですよ。子供は来年小学校に上がります。今後も建築に限らず、色んなことに挑戦したいですね。
あゆみ
ありがとうございました。では最後に愛媛のU25にメッセージをお願いします。
実さん
自分の好きなことを貫いて、わがままに頑張って欲しいですね。
僕らの時代は、新卒で入社したら上の人の言うことを聞いて、3年我慢してというのが当たり前でした。しかし今は、社会に合わせたり、自分のやりたいことを押し殺して生きたりすることが正解じゃないんですよね。
たとえ特殊なことでも、発信すれば共感してくれる人は必ずいるはず。妥協すると良いことないです(笑)!わがままに「自分はこれが好きだ」という思いを大切にしてください。

(実さんがイラストを担当した、会津おでかけマップ)

🍊実さんによる、地球に優しく、住みたい場所に住める暮らし『チーム OFF GRID』は⇒こちら🍊

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